チョーラの大搭めぐり
2010年 01月 06日
まずは遠い方、チョーラ朝(9~13世紀)のドラヴィダスタイルのヒンドゥー大寺院を見に行こってことで、J君が手配してくれたミニヴァンに乗り込み、べンガル湾から昇ってきた朝陽を受けながら国道を南へ、遺跡めぐりの旅に出た。
先日もネパールの国道突っ走ったけど、片道1車線の国道を80~100kmのスピードで走るのは結構なスリル。道路に牛や山羊が多いし。
このあたりは豊かな穀倉地帯が続き、椰子林と水田が広がる風景は、まるで東南アジア。
ちょうどお昼頃、チダムバラムの町に着いた。チダムバラムは、チョーラ朝時代から現代に至るまで多くの信者を集めるナタラジャ寺院の門前町で、折りしも町中が祭りの準備中だった。
境内の中で手相を見るおじさん。
如何にも、修行積んだって感じ。
チダムバラムを出て1時間半ほど走り、ガンガイコンダチョーラプラム(「ガンガーを征服したチョーラの町」の意)という町に着いた。ここは、セイロンまでを征服してチョーラ朝の栄華を極めたラジェンドラ1世が建てた、ブリハディシュワラ寺院がある。
わー、でかい!
高さ55mのヴィマーナ(本殿)が午後の日差しに霞んで見える。
本尊シヴァに仕える聖牛ナンディのお尻を見ながら、靴を脱いで門の中へ。
うーん、聞きしに勝る迫力。
入場は無料で、境内は町の人の憩いの場だった。(笑)
よし、次。
ヒンドゥー寺院の門前町クンバコナムの町中を走り抜け、今度はダラシュラムにあるアイラヴァテシュヴァラ寺院へ。
この寺院も境内が壁に囲われていて、ナンディ廟と向かい合った門から入る(入場は無料)。ナンディ廟の後ろには未完成のゴープラ(塔門)跡がある
入り口のマカラのオーナメント。東南アジアでもよく見るモチーフだけど、それにしてもそっくり。
しゃがんで写真撮っていたら、後ろから「フォトフォト」と声が掛かり、少女たちに写真撮影をせがまれる。インド人って写真撮られるのが大好きみたいで、どこでもよくリクエストを受ける。
ま、デジタルだから、いいんだけど、
活き活きとした躍動感が伝わってくる馬車や象の彫刻。
おお、美しい!
この寺院は、チョーラ朝の王ラジャラジャ2世が12世紀半ばに建てたもの。今回見た他のふたつにヴィマーナの高さでは及ばないが、レリーフが繊細で美しい。
アイラヴァテシュヴァラ寺院内部の東北の角は、鉄柵で区切った小さなミュージアムになっていて、チョーラ朝時代の彫像や解説ボードが並んでいる。
また、ここの天井部分にはチョーラ朝時代の本来の色彩が残っている。中央の円の中で踊っているのは、シヴァの妻パールヴァティ。
かつてのチョーラ朝の王都タンジャヴール(タンジョール)に到着したとこで陽が暮れ、駅前のメシ屋でディナー。食事(ロティまたはドーサに、グレビー、サンバル、ダヒ)で10ルピー(20円)だって。激安!
店にはビアもスプーンもない。でも、駅前で一番高級そうなこの店にはチキンがあったので追加注文、35ルピー。
翌朝、タンジャヴールの町に陽が昇る。
いよいよ、チョーラ朝寺院群のハイライト、The Big Templeへ。
またの名は、ガンガイコンダチョーラプラムで見たのと同じ、ブリハディシュワラ寺院。チョーラ朝の名を天下に知らしめたラジャラジャによる11世紀初頭の建築。ラジャラジャは、ガンガイコンダチョーラプラムのブリハディシュワラ寺院を建てた、ラジェンドラ1世の父。
わー、広―い!
まずは、インドで2番目に大きいという高さ4m、重さ25tという黒いナンディのいる廟。
続いて正面の階段を上ってマンダバ(拝殿)へ。
奥に進むと、ヴィマーナ(本堂)内部に巨大なリンガが祀られていた。
そのとき、ヴィマーナではプジャ(礼拝)が始まった。おじさんが上からバケツでリンガに水を掛け、参拝客は床にひれ伏してお祈り。
しばらくして、リンガに掛けたサフランの水が、ヴィマーナの脇からどっと流れ出てきた。参拝客がわーわー騒ぎ出し、一瞬喧嘩でも始まったかと勘違いしたが、狂喜して聖水を浴びていた。
クメールやチャンパの遺跡で、祠堂に祀られたリンガヨニから横に水が外へ流れ出る設計になってるのはよく見てきたけど、本場インドのヒンドゥー寺院のこれに倣ってたんだね。
千年の時を越えて、その繋がりを自分の目で確認できたよ、 感動!
境内の周りは回廊になっていて、壁画やリンガが並んでいる。
この日は、インドにあって独立までフランス植民地だったというプドゥチェリー(ポンドゥチェリー)まで戻ってディナー。ここでしか売ってないというRoyal Challengeを、サブジのパコラ(野菜の天ぷら)などつまみながら頂く。インドで初めてありついたビア、ふー、すっきりとおいしい。