パッタダカル 北から南へ年代順の遺跡群
2012年 02月 02日
パッタダカルは遺跡公園以外に特にこれと言って何もない小さな集落で、この日アイホーレを出て畑の中を走ってきたら、突然目の前に遺跡が現れる感じだった。
例によって、窓口で印度の世界遺産入場券250ルピーを買う。
ま、それにしても、日本で言う飛鳥・奈良時代の建造物が、戦乱の世を生き抜いて今もこうして立派に残っているというのは有難い話だと感銘する。
まずは砲弾型シカラ(本堂屋根)を持つナガラスタイルのカダシデシュワラ寺院。
同じくガラーガナータ寺院と、後ろに見えるのはジャンブリンガ寺院。少し造りが複雑に発展してきたかな、と。
そして、いよいよ奥のドラヴィディアンスタイルの世界へ。シヴァ信仰のリンガもいくつか見える。
ふたつの相似形の建物は、現在は左がヴィルパークシャ寺院、右がマリカールジュナ寺院と呼ばれているが、もともとはチャルキア朝の王ヴィクラマディーティア2世がカンチープラムのパラヴァ朝との3度の戦いに勝利して凱旋した栄誉を称え、正室ローカマハデヴィが建造させたローカシュワラ寺院と、側室で双子の妹トリローカマハデヴィが建造させた一回り小さいトリローカシュワラ寺院であった(と公園にいたガイドのおじいさんの説明だった)。
寺院脇の彫刻で、右半身がシヴァで左半身がパールヴァティのアルダナリシュワラ。同じく右半身がシヴァで左半身がヴィシュヌのハリハラ神。そう言えば、両方ともマハバリプラムのパンチャ・ラタにいたな、当時交流が深かったカンボジアのチェンラでも見かける。
当初ナガラスタイルの寺院を建造していたチャルキア朝の王が、宿敵パラヴァ朝の寺院建築の美しさに惚れ、建築家を招いてドラヴィディアンスタイルを真似たのがこのヴィルパークシャ寺院であり、この様式が後のラーシュトラクータ朝に受け継がれてエローラ第16屈のカイラーサナータ寺院が彫り出されたという、南印度寺院建築史のダイナミズムを感じずにいられない。