岩山から石積寺院へ
2010年 01月 12日
最初に車が停まったのは岩山の前。見上げると、大きな石が花崗岩の岩山の斜面に、まるで急停止してツンめったような状態で静止している。
石を斜面上方から見ると、ナイフでスパッと切ったよう。バター(ギー)が好きなクリシュナの逸話に基づいて「クリシュナのバターボール」と呼ばれるこの石は、一見とても不安定なのに、パラヴァ朝の王が象で引っ張ってもびくとも動かなかったそうだ。
しかし、不思議な光景。
岩山の上をバターボールの右に進むと、トリムルティ(3神一体)窟という石窟寺院に行き当たる。中央はシヴァの祠堂のようだ。
逆にバターボールから左に進むと、ガネシャ寺院という名の小さな建物があるが、この寺院は岩山からすっぽり削り出された石削寺院である。
ガネシャ寺院の先にもまだいくつか石窟寺院があるが、未完成のままになっている。
一旦岩山を降りて、バターボールの正面から岩山沿いに南に歩くと、幅30mに及ぶ世界最大規模を誇る迫力の岩壁彫刻があり、その描いているモチーフの解釈によって、ヒンドゥー神話「ガンガーの下降」、またはマハーバーラタにある「アルジュナの苦行」のどちらかの名前で呼ばれる。
「ガンガーの下降」を過ぎると、クリシュナ・マンダパという石窟があり、奥の壁には「ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ」という彫刻。
いろいろ盛りだくさんの岩山、面白かった。
岩山を離れ、正面を東に真っ直ぐ海岸に突き当たると、パラヴァ朝の王ナラシンハヴァルマン2世が700年ごろに建てた、海岸寺院が海風の砂浜にたたずんでいる。
海岸寺院は切石を積んで建てた石積寺院で、これまで主に石窟や石彫によって寺院を造り出したパラヴァ朝が、寺院の建築方法を切り替えたことになる。マハーバリプラムの建造物群は、宗教建築史の移ろいが一目でわかる資料になっているというわけ。
大小両祠堂の中にはシヴァとパールバティ、小祠堂の海側には横たわるヴィシュヌが彫刻されていて、祠堂の周りをナンディの飾りが乗った壁が囲んでいる。
ところで、かつてマハーバリプラムの砂浜には海岸寺院のような寺院が7つ建ち並んでいたが、永年波風にさらされるうちに他の寺院はすべて姿を消し、現在はこうしてひとつだけが残ったらしい。
海岸寺院も風化や侵食で、角が磨耗して丸くなっている。
マハーバリプラムのマハーバリは、マハーバーラタに登場するアスラの王の名前から来ているらしい。
因みにマハーバリプラムの別名ママラプラムは、チャルキヤ朝を討ったパラヴァ朝の王ナラシンハヴァルマン1世が「マハマッラ(偉大なる戦士)」の称号を持ったことに由来するとのこと。
海岸寺院が建てられてしばらくすると、パラヴァ朝のヒンドゥー建築は港町マハーバリプラムから首都カンチープラムにその中心を移し、お陰でカンチープラムは108のシヴァ寺院と18のヴィシュヌ寺院を抱える、ヒンドゥー7大聖地のひとつになった。
チェンナイの南西75km、カンチープラムにあるカイラサナータ寺院。エローラ第16窟と同じ名前。カイラスはご存知シヴァの住む聖山。
いい感じやねー、この遺跡。
パラヴァ朝の優美な寺院建築は、抗争を繰り返した西のチャルキヤ朝(パッタダカル)、ラーシュトラクータ朝(エローラ)、9世紀になってチョーラ朝(タンジャヴール)へと、その後のヒンドゥー建築に広く影響を残していく。