バンガロールからハンピ(ヴィジャヤナガル)への国道
2012年 01月 05日
ハンピは、14世紀半ばから16世紀半ばまでヴィジャヤナガルという王都で、最盛期には50万の人口を抱えたという26sqkmもの広大な地に遺跡が広がる、なかなか興味深いところである。
ここの歴代王朝は周辺国と激しい抗争を続け、ヴィジャヤ・ナガル(勝利の都)の名にもその執念が込められている気がする。僕が初めて海外赴任したベトナムには11~13世紀ごろ現在のクイニョンあたりにヴィジャヤというチャンパの都があってアンコールと戦っていたし、次に移り住んだジャカルタも16世紀のジャヤカルタ(偉大な勝利)がなまったもの。そして今バンコクではアヌサワリー・チャイ(戦勝記念塔)エリアにいるが、アヌサワリーが記念碑で、チャイは勝利を意味する同じアーリアの言葉。つまり僕はどこでも勝利の「ジャヤ」にお世話になりっぱなしである。
そう言えば、新入社員のころ世田谷に住んでいたが、初めてのアパート探しが三軒茶屋であったことも、今思えば何かの因縁かもしれない・・・
と、何やら縁の深そうなヴィジャヤナガルの別名を持つハンピはカルナタカ州にあり、州都バンガロールから北北西に335km、国道飛ばして5時間半ほど。
北印度やネパールのドライヴで、タタのトラックが道で立ち往生している光景によく遭遇するが、南印度のトラックはほとんどがアショク・レイランド製で、どー見ても、
運転してたら、いきなり車軸が外れちまって!
しかし、対向車線から車軸の外れたトラックが突っ込んできたらひとたまりもない。
まさにIncredible !ndia、くわばら、くわばら、
バンガロールを発ったのが朝9時。巨岩がゴロゴロ転がる不思議な景色を抜けて、まだ陽が高いうちにハンピのバス停に着くと、現代のハンピ村は、トゥンガバトラ川沿いの現役ヒンドゥー寺院ヴィルパークシャ寺院の門前に民宿のようなゲストハウスが寄り添う、まことにひなびたところであった。つまりかつての大都市ヴィジャヤナガルのホンの一部が村になっている感じで、ここにはホテルと呼べるようなファシリティはない。
表参道に車の乗り入れはできないので、バス停で車を乗り捨て、いかにもうさん臭そうな客引きのおっさんに先導されてゲストハウスを4,5軒覗くと、年末で稼働率こそ高かったが、それにしてもホットシャワーのあるなしでせいぜい1泊300~700ルピーという千円しないぐらいのかわいい値段設定だった。
ここは地元の人が巡礼や沐浴にやってくる聖地で、レストランのメニューを見て初めて知ったが、村の中で肉を食う、酒を飲む、というような行為は許されないようだった。
ま、それもよし、とハンピの最初の夜は暮れていくのであった。
(つづく)