カテゴリ:ヨルダン( 3 )

ヨルダン車の旅の途中、カラクという町では丘の上に古の十字軍の城塞が、周囲を圧倒するようにそびえていた。
f0136038_204478.jpg


カラクから一気にヨルダン渓谷を駆け降り、海抜マイナス400mと世界一低い地表である死海のほとりのリゾートで、ぷかぷかフロート気分を味わい、肌にぴりぴりくる泥を体に塗りたくり、夜は対岸のエルサレムの灯を眺めながら1泊した。

f0136038_23181793.jpg

ヨルダンに到着してからずっと岩山と砂漠ばかり見慣れてきたので、死海の周りのオリーブや野菜畑の広がる緑の風景には、違う国に入ったような感覚を受けた。因みに、死海は開発と共にどんどん小さくなっていて、このままでは由々しき問題とのことだった。


そんなこんなで、この旅行も最終日、翌日は首都アンマンの北隣にあるジェラシュという町の遺跡を見に行った。この町の遺跡は、アジアに残るローマ都市遺跡の中でも規模が大きく最も保存状態がよいのだそうだ。
f0136038_212250.jpg

遺跡のガイドの説明は、もともとここは1000ほどの柱が立ち並ぶローマ帝国の都市で、今でも322の柱が残っている。1世紀のローマ式のものもあるが、ほら、こっちの2世紀のコリント式のものはデザインが違うだろ、というような内容だった。アジアの遺跡には通じてるつもりだけど、残念ながらヨーロッパ遺跡の美術様式のことはようわからん。ただガイドの話のポイントは、時代を経ながら、この地で様々な文化が交じり合ったということだったと思う。まことにヨルダンらしい話だ。
f0136038_221186.jpg

f0136038_2316100.jpg

ローマ遺跡につき物の公衆浴場や劇場も残っているが、ここの劇場は今でも毎年のフェスティバルに使用される現役だそうで、これがジェラシュの遺跡が世界遺産に登録できていない理由らしい。
f0136038_234779.jpg



遺跡を後にして、アンマンの町でヨルダン料理、と紹介されたが、メゼとケバヴの数々は、僕の好物のレバノン料理と同じものに見えた。
f0136038_24949.jpg

特筆すべきは、料理と一緒に運ばれてきた甘酸っぱいミントティーがとてもおいしかったこと!アラビア語で「チャイナナ」と名前を教わったが、アラビア語で「ナナ」はミントの意味。ってことは、バンコクのアラビア街ナナは、アラビア人にとってミントの響きがあるってことなのか。
[PR]
by phraganet | 2011-09-19 02:13 | ヨルダン
で、翌朝8時、ゲストハウスの斜め向かいにあるペトラ遺跡のチケット売り場で1日入場券買ったら50ディナール、って。1ディナールは1ユーロに等しいので、うわ、入場料めちゃ高やん!

ここでガイドのおっさんお願いして、一緒に遺跡へ向かう砂利道の下り坂を歩き始めた。肌寒い!

しかし、昨日の運転手といい、今日のガイドといい、ジョルダーニは英語がうまい。ガイド曰く、3月ではまだ寒いし、6月では暑すぎて、4月中旬から5月あたまが絶好のシーズンなのに、中東各国の民主化運動が不安視されたみたいで、今年この時期の観光客は普段の年の3割ほどしかいない、とのこと。砂利道の左右に岩を削った遺跡が現れ始める。


砂利道が終わると、いよいよシークに入る。
f0136038_1382873.jpg

何千年もの間に水と風によって削られた、遺跡に向かう細い自然の回廊。足元には2千年前に敷かれた石畳。
f0136038_1393663.jpg


シーク両側の絶壁の高さは80mもあるとのこと。
岩肌にはペトラの古代都市に水を運んだ水道の跡が残ってるけど、そこに何やら彫刻らしきもの発見。
f0136038_1424193.jpg
かつてはラクダを2頭連れた商人の像だったらしい。おもしろい!こんなオブジェ作ってここを行き来する隊商を迎えたんやね、ふーん、上半身が失われているのはとても残念。

1.2km続くシークの最後の切れ目に、見えてきた。
f0136038_1432046.jpg


アル・ハズネ(宝物殿)。おお、これこれ、今回の旅の目玉!赤い岩肌が朝陽に映えている。期待を裏切らない立派な姿にしばし見とれる。
f0136038_1452716.jpg


ところで、僕はここに来るまでぺトラの作りがよくわかってなかったけど、チケット売り場でもらった案内リーフレット見たら、シーク抜けて来るとアル・ハズネが古代都市の入り口で、ここから先に遺跡群が広がっているのだった。先に進むと、ストリート・オヴ・ファサードと呼ばれる視界の開けた場所に出る。

ローマ遺跡みたいだけどナバティア人の造型、円形劇場。
f0136038_1455192.jpg

王家の墓。
f0136038_146648.jpg

古代都市の中心寺院。
f0136038_1462434.jpg


すごいなあ、と感じたのは、これだけの作りの都市が山々に囲まれて、周囲から全く見えない完全な隠れ里になってること。


古代都市の中心を見終わって奥まで辿り着くと、今度はここから半時間ほどのトレッキング。
f0136038_1471412.jpg
坂の途中、道の脇でみやげ物を売るベドウィンの家族。ペドラが世界遺産に登録されるっていうんで、遺跡に住み着いていた彼らは近くの丘の上に移住させられた代わりに、遺跡でみやげもの屋や馬車の商売をする権利が与えられた。

結構きつい階段が続くけど、あともう少し。
f0136038_148812.jpg


着いた!山の上の遺跡、アド・ディル(修道院)。
f0136038_1483057.jpg
アル・ハズネが岩肌にすっぽり包まれた繊細な造りをしているのに対し、アド・ディルは山の頂上から飛び出したような大胆な迫力がある。


ふもとに降りて昼食を摂った後、ストリート・オヴ・ファサードまで戻って、今度は午後のトレッキングに出発。ベドウィンの子供たちに、つらい登りになるからロバに乗れとしつこく薦められるが、笑いながら断って自分の足で登ることに。
f0136038_1491535.jpg

本日2度目の山登りはちょっと足に来たけど、なんとか頂上にたどり着く。
f0136038_1501649.jpg
ここはハイプレイス・オヴ・サクリファイスと呼ばれていて、聖水を使った儀式の場であったらしい。ちょっとシギリア思い出すな、この感じ。ここからはストリート・オヴ・ファサードや中心寺院がはるか下に一望できて、なかなかすごい眺めだった。

実はこの先もまだトレッキングルートは続くのだけれど、初めてのヨルダンでぺトラに1日しか取っていない身には、ここまで。

果たして、次また、来れるかね?
[PR]
by phraganet | 2011-06-24 02:09 | ヨルダン
バンコクを朝出て、ドーハ経由でアンマン郊外のクイーンアリア国際空港に着いたのが夕方。ビザも要らず、入国カードさえ書かずにイミグレを抜けた。らくちん!気温は20度を切るくらいで、涼しくてちょうど気持ちいい。

迎えの車が来てくれていて、空港を出ると、デザートハイウェイを一路南に向けて走り始める。ヨルダン唯一の海の玄関口、紅海に面したアカバから、北はアンマン、さらにはシリアのダマスカスを南北に結ぶデザートハイウェイは、頻繁にトラックが行き交うこの国の大動脈。
f0136038_274856.jpg

車窓の景色はほとんど砂漠と岩山で、ときおり砂漠の民ベドウィンが、ヤギやラクダに草を食ませているのが見える。

途中デザートハイウェイを右折し、古の隊商路であるキングスハイウェイに入ると、ほどなくペトラ遺跡を擁するワディ・ムーサ(アラビア語で「モーゼの谷」の意)が見下ろせた。全部で3時間足らずのドライヴ、ちょうど古代都市を囲む山々に陽が沈むところだった。
f0136038_281261.jpg


泊まったのはぺトラゲストハウス。「ゲストハウス」という名前の割になかなか立派なホテルで、数あるワディ・ムーサの観光ホテルの中でも一番ペトラ遺跡に近い。というより、遺跡のチケット売り場より内側に位置する。
f0136038_285992.jpg

後で駐車場のおじさんに尋ねたら、だいたいこの岩山をくり貫いた空間そのものがすでに遺跡の一部なのだそうだ。奥に見える「Cave Bar」が紀元前に壮大なペトラの都市を築き上げたナバティア人の墓であったらしい。
しかし、許されるのかね、こんな商売! 
f0136038_2171576.jpg


部屋は、シャーレーと呼ばれる岩山の上の建物だった。部屋の正面には、今下りてきたワディ・ムーサの村の夜景がきれい。
f0136038_2202933.jpg


というわけで、明日の朝は憧れのペトラ遺跡見物。では、おやすみー。
[PR]
by phraganet | 2011-04-19 02:28 | ヨルダン

アジアを歩けば何に当たる?タイやインドでの煩悩な日常と、気ままな旅のメモ


by プラがね: