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未体験のコーカサス目指して、バンコクからエミレーツに乗って久々のドバイの空港に着いたら、10年前に成長しつつあったターミナルが今や見違えるほど増殖し、とても複雑になっていた。

ここからジョージアの首都トビリシまでエミレーツ通しで予約したつもりが、そんなフライト案内はどこにも見当たらない。どうもここから系列LCCフライドバイの機材に乗換えのようで、ほとんどの客がAやB、Cのメジャーなターミナルに流れる中、ターミナルFに行けとぶっきら棒に言われる。
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これがまた表示も不親切で、シャトルバス乗り場と教えられたドアの前に心細く到着するも、他に乗客の姿も見えず、半端ない放っておかれ感。

やって来たシャトルバスを見つけて乗り込むと、やたらデカい空港敷地内を30分ほど掛けて反対側まで回り、ようやくトビリシ行きフライトのゲートへ。
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ジョージアにはビザ不要で入国カードもなく、あっけない入国で夜明け前にトビリシに到着。

4月中旬の気温はまだ肌寒い。ターミナルを出たら右へ移動し、37番のバスに乗って市内へ(0.5ラリ)。
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長いフライトにちょっと疲れたけど、今日このまま隣国アルメニアの首都イェレヴァンまで陸路で一気に移動するつもりで、ステーションスクエアを目指す。
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ステーションスクエアにたくさん停まっているバンの中からイェレヴァン行きを見つけるも、9時の始発までまだ2時間以上もあり、駅ビルを上がったカフェテリアで、イモや肉の素朴なジョージア料理ブッフェで朝メシ。
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ホントは朝のコーヒーが欲しかったが、カフェテリアのインスタントコーヒーがイケてなかったので回避した。駅ビルの中にターキッシュカフェを砂焙煎してるカウンターがあったけど、あそこから持ち込めばよかったな、失敗。

イェレヴァンまでのバンは35ラリ、僕の他に紳士と金髪のおばちゃんを乗せると9時を15分ほど回ったところで出発、しようとしたらエンジンが掛からず、紳士が車から降りて、駅前の下り坂で後ろから車を押して走り掛け。

悪い予感が脳裏をかすめたが、それは後に的中することになった。

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ジョージア国内は道路の状態もよく、アプリコットの花が満開の村々を快適に走り抜ける。

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1時間半ほどで国境に着き、またもビザ不要、入国カードなし、スムーズにアルメニアに入国。
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ここからの山道は舗装の状態がよくない。何より車の状態が悪く、登り道に苦労している。

やがて左に山と川と村の景色が開け、運転手があっちはアゼルバイジャンだと紹介した。それはともかく、無事に山越えできますようにと祈る気持ちも叶わず、ここで車は立ち往生。
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おばちゃんも紳士も車を降り、為す術もなく立ち尽くす。

どうやらエンジントラブルではなく、まさかのガス欠。あり得んやろ、それ!

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しばらく待って、同業のバンが走って来たところを捕まえて牽引をお願いすると、向こうの運転手は、よっしゃ、と先導してくれ、ひとつ目の山を越えた。
心からありがとう!
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引っ張って登ってもらう分にはいいけど、繋がったまま山道を下るのは危ないのでここで涙のお別れ。

ここから重力の法則に従ってくねくねと山を下り始めるが、運転手は慣性を最大限に活用しようとぎりぎりまでブレーキを踏まないので、ほとんどジェットコースター状態。車内で右に左に身体を大きく揺られながら、命さえ助かれば他のロスは我慢しようと思いましたよ。

山道を下り、猛スピードで村を駆け抜けたところで次の登りに差し掛かり、慣性の活用といっても、さすがにここで力尽きる。
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しかも最初の牽引でワイヤー切れてもてるやん。

次に一回り小さい赤い車にお願いし、ワイヤーをフックに固結び。
ええんか、こんなんで?
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何とかふたつ目の山を越え、麓のガススタンドへ辿り着いた。ふう、助かった!
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ここの商用車はディーゼルガソリンでなく、ガスを入れているらしく、安全のため乗客は全員降ろされて待った。

この後、道は1900mぐらいまで標高を上げ、トンネル過ぎたところで、左にセヴァン湖と修道院が姿を見せた。

なんだかんだで予定よりかなり遅れて、午後のイェレヴァン駅に到着。
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ここでメトロに乗り継いで街の中心リバティスクエアに移動、公園脇のカフェでビアを注文し、Wi-Fi繋いでまずは今夜の宿探し。なかなかいい雰囲気の街だな。
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食事の注文は、きのことポテト炒め、ご飯をワインの葉で包んだドルマ。んまい!
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一旦宿にチェックインして荷物を下ろし、夕方から散歩に出掛けた。

カスケード
天気が良いと、向こう側にカッパドキアで見上げたアララト山が見えるらしいが、今回それは叶わず。
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リパブリックスクエアの噴水ショー
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あたりの名所を中心に、こじんまりした街をうろうろ。


by phraganet | 2018-04-22 23:02 | アルメニア
クイーンズタウン到着の翌朝、一組限定50人の参加者がステーションに集合し、まずはバスに揺られてテアナウに運ばれる。ボートでテアナウ湖を渡り、いよいよミルフォードトラックの出発点グレートワーフに上陸。
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この日は1マイルだけ進んで最初のロッジに入った後、周辺をネイチャーウォークしてからディナー。早速ピノグリのボトル開けた。んまっ!
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ディナーの途中で国別に呼ばれてみんなの前で和気あいあいと自己紹介。日本チームは3人だった。

翌朝、まずはみんなで各自のランチボックス作り。
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2日目は平坦な清流沿いの道を10マイルのコースで、ゆっくり9時前にロッジ出発。

歩く速度は人それぞれ自分のペースで。
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昨日の雲がなくなってとても清々しい。

途中モウセンゴケが自生するウェットランドの脇道へ。
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人懐こいブッシュロビンが足元に挨拶に寄って来るおまけもあり。かわいい!
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フィヨルド独特の切り立った山々の景色が圧巻!
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そして山の斜面に建つポポローナロッジに到着。

3日目、10マイルは昨日と同じ距離だけど、高度1000mのマッキンノンパスを越える山場のこの日に朝から大雨。泣きそ!
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到着に余裕持ちたいのでまだ明るくならない早めの7:30発。

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ミンタロハットの休憩を終え、11のジグザグを折り返しながら登り続け、寒さに震える中でピークが見えたときはホントにうれしかった。
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大量の雨で山道がすっかり渓流と化している中を下って15:30にクインテンロッジに到着。

夕方天気が回復してきたので往復1時間半掛けて近くのサザーランドの大滝を見に行く。近くに寄ると流れ落ちてくる滝の暴風に巻き込まれるという大迫力。
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ロッジに戻ってキノコのスープ頂きながらソーヴィニヨンブランで乾杯!
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4日目は終点目指して最長の12マイルのコース。今朝も7:30発。

この日の原生林はこれまでと全く違う景観。長い歴史の中で大事に維持されてきたコース。
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地元でウェカと呼ばれるクイナの仲間をときどき見掛ける。
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ジャイアントゲート滝の傍でランチを食べ、15:30に終点サンドフライポイントに無事到着。全行程33.5マイル、やったー!

ボートに拾われ、ミルフォードサウンドに渡る。うわあ、なんて美しいとこなんだろ!
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この日はマイターピークロッジという名前だけど、山小屋ではなく港の目の前のホテルに宿泊。ラムとピノノワール頂く。
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パーティではひとりひとり名前を呼ばれ感動の完歩証授与式。みんなよく頑張ったね!

翌日残念ながらまた雨に降られる中、ミルフォードサウンドをクルーズ。
ここでもボーエンという大滝が暴れていた。半端ない水量。
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午後船を降りてバスに乗り換えクイーンズタウンに戻る。
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バスの窓からの眺め。見渡す限り周りの山の斜面全部が滝!すごいとこや!

毎日の料理とワインもおいしかったし、ホント、贅沢にも気持ちのいいトレッキング体験だった。


by phraganet | 2017-02-08 01:19 | ニュージーランド
アサム州東の外れにあるディブリガル空港に降り、隣のナガランド州最北端のモン県を目指した。

メモ:セヴンシスターズ(北東部7州)のうちナガランド、マニプル、ミゾラムはドライステート(禁酒州)で、ナガランド、ミゾラム、メーガラヤはキリスト教州。ナガには数多くの言語があり、ヒンディは使われず、公用語は英語。うちモン県はコニャックと呼ばれる人々の住む地域である。

アサム州内では車窓から茶畑を眺める時間が続いた。
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途中の小さな橋を渡ってナガに入ると、竹を編んだ壁と椰子の葉で屋根を葺いた農家が並ぶ景色に変わる。
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印度政府も辺境の整備に力を入れてないのか、主要道路もでこぼこだらけ。

山道に差し掛かってから陽が暮れてしまい、モンの町の明かりが見えたとき辺りはもう真っ暗だった。
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モンのゲストハウスに2泊。
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おお! 蚊帳付きベッドで快適そう、と思ったらこの後停電してしまい、暗闇の中眠りに着くまで不便な思いをする。

ゲストハウスのベランダから見た夜明けのモンの町。
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ここから目的地インド・ミャンマー国境の村ロンワまでさらに2時間のドライヴとのことで、トーストと目玉焼きとチャイの朝食をさっさと済ませ、ゲストハウスの駐車場でガイドと合流して出発。

若いガイドはアニャムという名で、コニャックではなく南隣のアオの出身という。でも、モン県内に114ある村のすべての言葉ができます、とまるでC3POのような自己紹介だった(笑

この辺りではまだ焼畑農業が盛んらしい。
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山道をくねくね登ってロンワの村に入る。

村の入り口にある椰子葺屋根の立派な家。
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玄関前に横たわっているのは太鼓で、かつてはこれを打ち鳴らして戦闘状態を村中に知らせたらしい。
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ロンワの村はミャンマー側にこぼれていて、そのまま進むと何の目印もなく国境を越えてしまう。

丘の上にモルンと呼ばれる建物があり、これが監視台、集会所、訓練所を兼ねた村の重要な施設であったらしい。
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柱の彫刻、手にした髑髏は人間の首を狩っていた名残が見える。
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人肉を食べていたのかと思って質問したら笑われて、食べないですよ、スカルはトロフィーみたいなものです、との説明だった。コレクションの対象ってことか。

谷に住むのは戦略上危険なので、村は必ず尾根の上に作られた。ナガは戦時中日本軍の占領を受けたこともあるが、日本軍も首狩族のことは怖れていたらしい。

ちょうど日曜の朝で、村人が次々とミサに集まってくる。
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讃美歌が漏れ聞こえてくる中でゆっくり村の散歩。

散髪、若い男性の髪型は韓流がお手本。
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マーケット
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フリーキック、ボールではなく紐でくくった布だけど
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教会の奥の丘で、アニャムが小屋の中に入るので着いて行くと、男たちがパイプで何やら煙を吸っているところだった。
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ミャンマー産のアレ?ちょっとやばいかも。
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ロンワからモンに戻り、アニャムの友人でペジンという女性を紹介された。彼女はモン郊外に茶園を持っているので、一緒に茶園見学に行きましょうと誘われ、またまた別の山道を1時間ほどドライヴ。

広大な敷地に立派な茶園。すげ~、何者、この女性?
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実は彼女は首狩族研究の有名な著者でもあり、iPadでコニャックの人々のことをいろいろ説明してくれた。 
http://tattooedheadhunters.com/ 

うわ~、驚き!
首狩族の村にも行けるかと聞いたら、連れて行くけど2,3日の短い日程で来ないでね、と釘を刺される。よっぽど険しい山道を入って行くんだろうか。

茶園の中のかわいいゲストハウスで、ダルとジャガイモのカレーでランチをご馳走になり、モンに戻った。

インド北東部、週末の滞在だけではとても計り知れない、まだまだ未知の世界が広がってそう。



by phraganet | 2016-03-22 00:01 | インディア

セ・ラ(峠)を下ってから道路はまた山肌伝いに大きく迂回し、ようやくタワンに近づいてきた。

タワン川に注ぐヌラナン滝、
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続いてタワン郊外にあるダライ・ラマ6世の生誕地ウルゲリンゴンパ
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に寄ってからタワンの町に入った。
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小学校の制服がブレザーやし。
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アルナーチャル・プラデーシュ州では多様な民族ごとに言葉が違うので、ヒンディーを共通語にしているようだ。町で英語はあまり通じなかった。

亜大陸の東端にいるのとヒマラヤ山中のため、16時には山に陽が落ちる。前夜ディランでかなり冷えたので、タワンはどんなに寒かろうと心配したが、気温は同じようなもので杞憂に終わった。夜は宿の前の道に出て、ひんやりした空気の中かなり長い間満天の星空を楽しんだ。町の方からディワリを祝う爆竹の音が響いている。

夜が明け、宿の窓から正面に立派なタワンゴンパが見えた。
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この日はタワンゴンパには向かわず、チベットとの国境に近いジミタン村まで往復9時間のドライヴ。

途中のルムラでチャイを飲みながら休憩。道路脇では、この地方独特のヤクの毛で編んだ帽子を被ったタワン・モンパの婦人たちが野菜の量り売り。民族衣装もきれい!
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細い山道を走って昼過ぎにジミタン村に到着。北にチベット、西にブータン国境までの距離それぞれわずか5km。ダライ・ラマ14世がチベットから亡命して辿り着いたという小さな村には、ゴルサム・チョルテンと呼ばれる巨大なストゥーパが建立されていた。
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ジミタンでランチを済ませてからタワンへの帰路に着く。道路脇にはマニラカンがよく見られた。お堂の中では水の流れを利用して常にマニコロが回り続けている。
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タワンから先は道が悪かったので、この日帰りドライヴはかなり疲れた。

翌朝、夜明け前にいよいよこの旅のハイライト、タワンゴンパに出掛ける。暗い中ドゥカン(本堂)に入ると、少年僧たちが並んで朝のおつとめ中だった。
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小部屋の中では大人の僧が読経中。
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夜が明けておつとめが終わり、ドゥカンから一斉に出て来た少年僧たち。
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下の建物の前にみんなで列を作ったので、何が始まるんだろうと見ていたら、ひとり1枚づつ朝食の支給。
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僕も1枚もらったけど、このフワフワパンはミルク・バターたっぷりでおいしい!

タワンにはアニゴンパと呼ばれる尼僧院もある。
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ドゥカンの前にいたかわいい尼僧が勉強の手を休めてこちらにどうぞと中を案内してくれた。
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あまりにかわいかったのでお礼に抱きしめたかったが、仏様の手前それも罰当たりかと思い留まる。景色や自然ももちろんいいけど、人の好さに触れられて心動かされたなあ。

少し町を散策してからいざ出発。最後にタワンゴンパの正面から振り返ってみる。ありがとう!いやあ、いい思い出ができた。
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来るときガスって周りの景色が見えなかったセ・ラから、帰りは山道が見晴らせた。
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桃源郷に続く遥か険しい道。

またディランで1泊してから山を下り、チェックポイント過ぎてアルナーチャル・プラデーシュ州を出た瞬間、あれ?風景も気候も人種も文化もすべてが一変。
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魔法かこれは?さっきまでの体験は夢だったのか?

折角なんで茶園でアッサムティー頂いてからデリーへの帰路に着く。
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by phraganet | 2015-12-07 01:20 | インディア
ウドンターニーからミニバスでヴィエンチャンに入り、翌朝ヴィエンチャンからヴァンヴィエンにはVIPバスなる大型観光バスで3時間半の快適な移動。ラオスのあちこちに来たことある割には、ヴィエンチャンとルアンパバンの間にあるこの町に来たのは初めて。

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往時を知る人は、こんな辺鄙なところがすっかり町になってしまってと嘆くが、カフェとゲストハウスとトラベルカウンターがぐちゅっとまとまった、奇岩に囲まれた川沿いのスポットは決して嫌いではない。

ヴァンヴィエンで何したかと言うと、雨の多いこの時期、特にチュービングを楽しむわけでもなく、例によってビアラオ飲みながら時間を過ごしただけ。
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夜も更け、そろそろカフェがみんな閉まり掛けた散歩の途中、ゲストハウスの向かいのWhopping Burgerという店に入ったら、主人にいきなり日本語で話しかけられてビックリした。ここは日本人夫婦のやってる有名な店で、何でももともとピッツァリアを目指したが、なかなか客をさばききれず、そうこうするうち大きいバンズのハンバーガーが大当たりしたのだそうだ。

人生っていろんなこと起こるね。

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翌朝は道端の屋台でバケットサンドイッチ作ってもらい、ゲストハウスに迎えに来たソンテウに拾われ、9時発のミニバスでルアンパバンを目指す。大型のVIPバスではルアンパバンまでの山道を走るのに8時間掛かり、値段はちょっと高いがミニバスの方が早く着けるとの話だった。そりゃ、早い方がええやろ。

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失敗だった!

満員のミニバスは一番後ろの席しか空いてなかったので、そこに押し込められたが、狭くて身動きできず、窓も開けられない。このまま6時間以上座ったら、閉所恐怖の発作間違いない。不機嫌な僕と無関係に、車内はカナダ人、アイスランド人、ラオス人、日本人のおしゃべりと共にともかく発車したが、1時間半ほど進むととんでもないでこぼこ道が始まった。

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やがて、窓からの景色もすっかり山々を望むようになった峠の茶屋で、車はいきなり止まった。
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この先崖崩れのため一方通行になっていて、まずはルアンパバン側からの車をやり過ごさないと進めない。さあ、メシだ、メシだ!とのこと。ま、窮屈な状態から休憩ができるのはよかったと、ミニバスを出る。

店のおばちゃんに作ってもらったクイティウ食べ終えると他にすることもなく、バッグに入れてた文春文庫「坂の上の雲」をテーブルに取り出して読む。

随分読み進んだが、いつまで経っても反対側からの車なんて来やしない。

2時間ほどしてようやっと数台のSUVやピックアップ、ミニバスが通り過ぎ、じゃ、行くかってことで、峠の茶屋を出発。

この判断も誤った!

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しばらく行くと、道路が陥没した地点に着いたが、ここはまだ問題の本質ではなかった。この先、崖から崩れ落ちた土砂が道路をふさいで、そこに自分だけ先に進もうというマナーの悪い車が突っ込んでくるため、両方からの車が進めなくなって立ち往生していた。だから、ルアンパバン側からの車を先に通すというルールができてたんだ。さっきすれ違ったのは全部小型車ばかりで、大型のトラックやバスはみんなびっちり詰まって、抜き差しならないとはまさにこのこと。


そんなわけで陽もどっぷり暮れて、ルアンパバンに着いたのは22時過ぎ。かれこれ13時間半掛かった。なんとかゲストハウスに転がり込むも、シーサワンウォン通りにずらりと並ぶカフェレストランはみんな22時半閉店なので、入ろうとすると全部断られ、仕方なくビアラオ大瓶とポテトチップス買って、部屋に戻る。

トホホ、報われない1日やった。
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by phraganet | 2012-09-06 01:28 | ラオス
年越しに印度の遺跡を訪れるのはこれで3年連続、今回はハンピというデカン高原の村に行った。

ハンピは、14世紀半ばから16世紀半ばまでヴィジャヤナガルという王都で、最盛期には50万の人口を抱えたという26sqkmもの広大な地に遺跡が広がる、なかなか興味深いところである。
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ここの歴代王朝は周辺国と激しい抗争を続け、ヴィジャヤ・ナガル(勝利の都)の名にもその執念が込められている気がする。僕が初めて海外赴任したベトナムには11~13世紀ごろ現在のクイニョンあたりにヴィジャヤというチャンパの都があってアンコールと戦っていたし、次に移り住んだジャカルタも16世紀のジャヤカルタ(偉大な勝利)がなまったもの。そして今バンコクではアヌサワリー・チャイ(戦勝記念塔)エリアにいるが、アヌサワリーが記念碑で、チャイは勝利を意味する同じアーリアの言葉。つまり僕はどこでも勝利の「ジャヤ」にお世話になりっぱなしである。

そう言えば、新入社員のころ世田谷に住んでいたが、初めてのアパート探しが三軒茶屋であったことも、今思えば何かの因縁かもしれない・・・


と、何やら縁の深そうなヴィジャヤナガルの別名を持つハンピはカルナタカ州にあり、州都バンガロールから北北西に335km、国道飛ばして5時間半ほど。

北印度やネパールのドライヴで、タタのトラックが道で立ち往生している光景によく遭遇するが、南印度のトラックはほとんどがアショク・レイランド製で、どー見ても、

運転してたら、いきなり車軸が外れちまって!

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という惨状をさらしているのを何度か見掛けた。実に悲惨だ!

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しかし、対向車線から車軸の外れたトラックが突っ込んできたらひとたまりもない。
まさにIncredible !ndia、くわばら、くわばら、


バンガロールを発ったのが朝9時。巨岩がゴロゴロ転がる不思議な景色を抜けて、まだ陽が高いうちにハンピのバス停に着くと、現代のハンピ村は、トゥンガバトラ川沿いの現役ヒンドゥー寺院ヴィルパークシャ寺院の門前に民宿のようなゲストハウスが寄り添う、まことにひなびたところであった。つまりかつての大都市ヴィジャヤナガルのホンの一部が村になっている感じで、ここにはホテルと呼べるようなファシリティはない。
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表参道に車の乗り入れはできないので、バス停で車を乗り捨て、いかにもうさん臭そうな客引きのおっさんに先導されてゲストハウスを4,5軒覗くと、年末で稼働率こそ高かったが、それにしてもホットシャワーのあるなしでせいぜい1泊300~700ルピーという千円しないぐらいのかわいい値段設定だった。

ここは地元の人が巡礼や沐浴にやってくる聖地で、レストランのメニューを見て初めて知ったが、村の中で肉を食う、酒を飲む、というような行為は許されないようだった。

ま、それもよし、とハンピの最初の夜は暮れていくのであった。
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(つづく)
by phraganet | 2012-01-05 02:18 | インディア

オフィス脱出

何ヶ月も掛けて北部から降りてきた大量の水。

タイの洪水は毎年の話だけど、今年は特にアユタヤあたりの工業団地を呑み込んで、日本でも随分話題に。その水が先週ドンムアン空港に達して、ついにバンコク入り。1日3kmのゆっくりしたスピードで道路を進んでくる。

今朝普通に出社するものの、バンコク北部にあるうちのオフィスの周りは水の増え方が早く、午前中で切上げて、仕掛かりのファイルや書類持ち出して部屋に戻ってきた。幸い4WDなんで走れるけど、セダンではかなりきつい状況。
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って、うちのアパートに達するのもあと数日なので、洪水の中で生きる覚悟必要だけど。
by phraganet | 2011-11-04 17:00 | タイ
バンコクを朝出て、ドーハ経由でアンマン郊外のクイーンアリア国際空港に着いたのが夕方。ビザも要らず、入国カードさえ書かずにイミグレを抜けた。らくちん!気温は20度を切るくらいで、涼しくてちょうど気持ちいい。

迎えの車が来てくれていて、空港を出ると、デザートハイウェイを一路南に向けて走り始める。ヨルダン唯一の海の玄関口、紅海に面したアカバから、北はアンマン、さらにはシリアのダマスカスを南北に結ぶデザートハイウェイは、頻繁にトラックが行き交うこの国の大動脈。
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車窓の景色はほとんど砂漠と岩山で、ときおり砂漠の民ベドウィンが、ヤギやラクダに草を食ませているのが見える。

途中デザートハイウェイを右折し、古の隊商路であるキングスハイウェイに入ると、ほどなくペトラ遺跡を擁するワディ・ムーサ(アラビア語で「モーゼの谷」の意)が見下ろせた。全部で3時間足らずのドライヴ、ちょうど古代都市を囲む山々に陽が沈むところだった。
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泊まったのはぺトラゲストハウス。「ゲストハウス」という名前の割になかなか立派なホテルで、数あるワディ・ムーサの観光ホテルの中でも一番ペトラ遺跡に近い。というより、遺跡のチケット売り場より内側に位置する。
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後で駐車場のおじさんに尋ねたら、だいたいこの岩山をくり貫いた空間そのものがすでに遺跡の一部なのだそうだ。奥に見える「Cave Bar」が紀元前に壮大なペトラの都市を築き上げたナバティア人の墓であったらしい。
しかし、許されるのかね、こんな商売! 
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部屋は、シャーレーと呼ばれる岩山の上の建物だった。部屋の正面には、今下りてきたワディ・ムーサの村の夜景がきれい。
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というわけで、明日の朝は憧れのペトラ遺跡見物。では、おやすみー。
by phraganet | 2011-04-19 02:28 | ヨルダン
先月、シエムリアップで安いドラフトビアを飲んだくれてた僕は、ひょんなことから「クメール5大遺跡めぐり」という記述を目にする。

「クメール5大遺跡」というのは、
   - 7世紀の真臘(チェンラ)の都 
     「サンボール・プレイ・クック」
   - 10世紀の幻の都
     「コーケー」
   - クメール最大遺跡と言われる
     「プリアカーン・コンポンスヴァイ」
   - アンコール・ワットと同時代の巨大寺院
     「ベンメリア」
   - 四面仏塔と千手観音レリーフの美しい
     「バンティアイ・チュマール」
を指すらしい。

どういう基準でくくっているのか異論もあるけど、もともとヨーロッパの学者が言い出したものが、最近旅行者の間でよく引用されているみたいだ。
コーケーから戻ってきたばかりの僕は、ベンメリア、サンボール・プレイ・クックバンティアイ・チュマールに行ったことがあるので、、あとプリアカーン・コンポンスヴァイに行けば全制覇だなと思った瞬間、これはついでにプリアカーン行っとかないとバンコクに戻れないという気分になってしまった。

早速ゲストハウスに戻って、車の手配を依頼するも、スタッフの誰もプリアカーンのことを知らない。ガイドブックにも載っていないので、こちらもうまく説明できない。
地図で調べてみると、アンコール、ベンメリア、プリアカーンは、かつてのクメールの「王の道」に沿って同じ東西軸に一直線に並んでおり、アンコールから40km真東に行くとベンメリア、さらに真東に60km行くとプリアカーンに辿り着くはずだ。

ようやく、道に詳しいという若い運転手をゲストハウスが呼んでくれたが、彼の答えは、そこには行けない!の一言だった。そんなはずない、紀行がネットに載ってる、と説明すると、でも1日では辿り着けない、と言う。さらにいろいろ調べてみると、ベンメリアまでは道路が整備されているものの、そこから先は道なき道で、片道10時間を要するようだ。
うーん、これでは、4輪駆動車と運転手の2日間レンタルで、時間も費用も嵩んでしまう。泊まるところの当てもない。確かに数年前までヘリコプターをチャーターしないと行けないと言われていたようなところ。

いろいろ考えを巡らすと億劫になって諦めかけたが、夜またゲストハウスのレセプションで、最初に尋ねた男性スタッフが、プリアカーンに行けるという運転手を見つけましたと話しかけてきた。何でも、東に真っ直ぐ走ったのでは道が途切れてしまうので、まず国道6号線を南東に突っ走り、ストン(Stoung)の村あたりから北上する片道3時間半ほどの新ルートがあるという。
やったね!

翌朝6時、ゲストハウスに迎えに来たランドクルーザーにはふたりのクメール人男性が乗っていた。ひとりはこの車のオーナードライバーで、以前テレビの取材でプリアカーンに行ったことがあるらしい。もうひとりも職業は運転手だが、プリアカーンのすぐ近くの村の出身なので、今日はナビゲーターとして同乗してくれているとのこと。追加料金は取りませんから、とニコニコしている。


早朝の国道を時速約100kmで快調なドライヴのスタート、途中ストンでクイティウの朝食を済ませ、ここから農道に入るが、それでも80kmぐらいで飛ばしている。
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このまま遺跡に到着できるんなら楽勝と思われたが、だんだん道は荒れて狭くなり、2時間も経つと、巡航速度は20kmほどに落ちる。途中で生きた豚を運んでいるおじさんたちと出会ったが、道が狭くてオートバイとすれ違うにも一苦労。
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橋がなくて川底を渡るところが4箇所あり、乗用車やヴァンでは絶対に行けない、の説明に改めて納得。2度ほどぬかるみからの脱出に苦労したし、この調子じゃ、おそらく雨季にはランドクルーザーでも辿り着けないと思う。道が消えてしまって、草むらをどっちに進んだらいいか全く見当のつかない場所もあって、地元出身ナビゲーターの必要性を痛感する。

このふたり、とてもいい人たちやったんや。ありがとう!

なんだかんだで4時間近く、車はプリアカーン・コンポンスヴァイの北東正面に到着。
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入り口でヒマそうにしていたバイクの兄ちゃんに入場料5ドルと言われて素直に渡してしまったが、考えたら、入場券のようなものはなかった。

まだ訪れる人もなかったベンメリアに初めて行ったとき、地元警察に金を渡し、彼の後をしっかり着いて行かないと地雷を踏むと脅された。確かに、すぐ横では作業員が地面に這いつくばって慎重に地面に棒を刺して地雷をチェックしていた。近すぎやろ、これって。
このバイクの兄ちゃんがあんな風に先導してくれるのかと思ったら、勝手に中に入れと指差された。地雷は、日本の協力により2006年4月に除去されましたと看板にある。めちゃ広そうなのに、ホンマかいな?

ジャヤヴァルマン7世の様式を感じさせる搭門をくぐって、巨大伽藍に入る。全くの静寂の中、遠くの鳥の鳴き声と近くに虻の羽音だけが聞こえる。
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参道右、巡礼者の宿泊施設だったダルマサラだ。
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ひたすら真っ直ぐ進むと、回廊の入り口に着いた。回廊に入ろうとして、テラスから後ろを振り返ると、さっき入ってきた搭門はすでに森の中でもう見えない。
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回廊の内側。
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近づいてみると、見事なレリーフ、繊細で保存状態もいい。でも、残念ながら、ここにいたはずのデヴァター(女神)は盗掘されている。たぶん、とても美しかったんだろう。
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プリアカーンを出ると、車はすぐ近くのプリアストゥンに寄った。
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バイヨンのような四面仏塔。
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巨大なバライ(大貯水池)もあり、かつてバライの中心寺院だったメボンも残っている。
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塔を支えているガルーダ、イカしてるね。こいつはアンコールのプリアカーンにもデザインが似ていると感じた。
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バライの東岸にはプリアダムレイ(聖なる象)というピラミッド形式の寺院があった。このかたちはコーケーで見たプラサート・ダムレイの流れだね。手前にはナーガのテラス。
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ってなことだった、プリアカーン・コンポンスヴァイ。無事に来れてよかった。
カンボジアもなかなか奥深いけど、これで、しばらくはもう来ないかも・・・(笑)


by phraganet | 2010-06-18 03:34 | カンボジア
口内炎が痛い。

先週スラータニーにいたので、ただでさえ痛いほど辛いタイ南部の料理が、
容赦なく口の内側に沁みた。 イテテ!

一応、ビタミン剤飲んでみるけど、今回全く効き目なし。

で、その後、車で南に走って、陸路マレーシアへ。

ラオスには何度か車で渡ったけど、マレーシアとの国境は初めて。
トラックも多いけど、タイの連休で、マレーシアへの観光客が長蛇の列を作ってた。
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途中イポーに寄って、そのままシンガポールまで、マレーシア西岸を駆け抜ける出張だった。
マレーシアの高速道路は整備されててすごい。 タッチ&ゴー(プリペイドカード)で楽々縦断。
残念ながら、サービスエリアでは口内炎に効く豚肉にありつけないけど・・・(笑)。
時間あったら、KLで肉骨茶(バクテー)食べたいとこだけど、仕事なんでしょうがない。

しかし、道路からの眺めでいうと、タイ<マレーシア<シンガポールの順でずっと発展してる感じしたなあ。 街並みに随分差を感じる。
by phraganet | 2009-07-08 01:00 | マレーシア

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by プラがね: